大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

水戸地方裁判所下妻支部 昭和42年(ワ)27号 判決

原告

大畑きく

ほか七名

被告

杉山恒四郎

ほか一名

主文

一、被告両名は連帯して、

原告きくに対し金五六一、四九七円、

原告一實に対し金三二六、六二六円、

原告昌巳に対し金一八八、九九九円、

その余の原告に対し各金八八、九九九円、

及び右各金員(但し原告一實に対しては内金一八八、九九九円についてのみ)に対する昭和四〇年四月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告等のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は全部被告両名の負担とする。

四、この判決の第一項は、それぞれ仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告等は連帯して、原告きくに対し金一、〇九七、九三九円、原告一實に対し金四七一、〇一九円、原告昌巳に対し金三二七、九八二円、その余の原告に対し各金一七七、九八二円宛、及び右各金員(但し原告一實に対しては内金三二七、九八二円についてのみ)に対する昭和四〇年四月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、

請求原因として、

一、原告きくは亡大畑義雄の妻であり、その余の原告は右義雄ときくとの間の子供であり、被告幸造は被告恒四郎の長男である。

二、昭和四〇年四月六日午前一一時頃、被告幸造は自家用普通貨物自動車(茨四に、二八〇七号)を運転して下館市大字西石田方面から同市大字下野殿方面に向つて進行中、同市大字野殿六六九番地先の道路上において、運転を誤まり、折から自転車に乗つて反対方向から進行して来た大畑義雄に被告車の前部を衝突させ、そのため義雄は路上に転倒し、頭部傷害により同日午後一時四六分頃死亡するに至つた。

三、ところで被告恒四郎は、自己名義の田一町九反三畝一五歩と畑四反二畝二〇歩、養父幸一郎名義の畑四反八畝一五歩と山林一町二〇歩と宅地八二六坪及び家屋数棟を所有し、同居の長男被告幸造等家族を指揮監督して右所有農地を自作する農業経営者であり、被告幸造はその家族として右農業に従事している者であつて、本件加害自動車は、登録名義を被告幸造としているが、被告恒四郎の右農業経営の収入によつて買入れ、同人所有の納屋の一部を車庫に用い、主として恒四郎の右農業経営及び同人方の家事用に使用されており、諸税その他の保存、管理、運行の費用は恒四郎の農業経営の収入から支弁されているものである。

而して本件事故は、当日被告幸造が右農業の用向きで本件自動車を運行中に生じたものであるから、被告恒四郎及び被告幸造は共に自動車損害賠償保障法第二条の保有者に該当し、従つて同法第三条に定める責任があるほか、本件事故は被告幸造の過失によるものであるから、同被告は民法第七〇九条、被告恒四郎は同法第七一五条の責任があるものである。

四、本件事故によつて生じた損害は次のとおりである。

(一)  亡義雄の損害

(1)、逸失利益の損害

亡義雄は、事故当時、田一町三反七畝、桑畑八反五畝、普通畑一反五畝を耕作する農業経営者であつたが、昭和四〇年度(事故当時)の農林省茨城統計調査事務所の調査によれば、当時の県内の同規模経営農家の平均収益額で右耕作反別に乗じた金額は年間八三七、七九五円であるから、亡義雄方の農業収益額もこれを下らないものと見られ、同人方の農業従事者は長男(原告)一實夫妻を中心とし、亡義雄は主として養蚕を担当するほか全般の農業経営の指揮監督をしていたので、亡義雄の寄与率は右収益額の三〇パーセントに当る二五一、三三八円を下らないものと見られ、同人自身の生活費は前同調査の結果によると平均年間一一九、八〇〇円であるから、この額以内と見られ、従つて同人は本件事故による死亡によつて年間一三一、五三八円の得べかりし利益を失つた。而して同人は死亡当時六二才の健康な男子であつて、政府機関の調査による同年齢の男子の平均余命は一三・五年であり、就労可能年数は六・九年であるから、同人はこれと同程度の期間生存就労し得たものと見られ、この就労期間に失つた得べかりし利益を法定利率年五分、年一回の収入としてホフマン式計算法によつて算出すると金七七二、六五四円となり、これが同人の逸失利益である。

(2)、自転車一台破損による損害、金二三、〇〇〇円

(3)、慰藉料、金五〇〇、〇〇〇円

(二)、原告等の損害

(1)、亡義雄の死亡により原告等は甚大な精神上の打撃を受けた。殊に妻たる原告きくは、結婚以来四〇年、両者間に八人の子供をもうけ、協力してこれらを成長させ、漸やく老夫婦ともに楽しめる時に至つて突如この事故に遭い、傷心のあまり血圧が急に高まり、心臓衰弱症を起し、事故直後から居村大圃医師の診療を受け、昭和四三年四月まで通院を余儀なくされた程である。

また原告一實は長男として父と同居し、日常その指導監督を受けながら家業に従事していた関係上、親近度が殊に深く、将来も父に頼ることが大きかつた者であり、原告昌巳は事故当時二一才の未婚者で、将来家庭をもつためにも父の指導援助を仰ぐ必要が多かつた者であり、この両原告が受けた精神上の打撃は母に劣らぬ程である。

その余の原告等も義雄の実子で、他家に嫁入しているものの、その精神上の打撃は大きい。

よつてその慰藉料は、原告きくについては金一、〇〇〇、〇〇〇円、原告一實と昌巳については各金三〇〇、〇〇〇円、その余の原告等については各金一五〇、〇〇〇円を相当とする。

(2)、原告一實の物質上の損害

原告一實は、父の重傷による応急措置、及びその死亡のため土地の慣行に従つて葬式と供養を主宰し、その費用を次のとおり支出した。

(イ)、重傷処置料、金二、七〇四円

(ロ)、葬式費、金九三、八六三円

(ハ)、初七日供養費、金七、七〇〇円

(ニ)、三七忌供養費、金六、八〇〇円

(ホ)、四九日、一〇〇日、新盆併合供養費、金一五、六一〇円

(ヘ)、一週年忌供養費、金一六、三六〇円

以上計金一四三、〇三七円

(三)、亡義雄の損害金一、二九五、六五四円(前記(一)の(1)(2)(3)の合計)は、原告きくが三分の一に当る金四三一、八八四円を、その余の原告等が各二一分の二に当る金一二三、三九五円宛をそれぞれ相続したので、これと原告等固有の損害を合算すると、その金額は、原告きくが金一、四三一、八八四円、原告一實が金五六六、四三二円、原告昌巳が金四二三、三九五円、その余の原告等が各金二七三、三九五円となる。

五、ところで、原告等は、本件事故につき、自動車損害賠償保障法による責任保険金一、〇〇一、八三六円を受領したので、これを各自の相続分に応じて配分すると、原告きくが金三三三、九四五円、その余の原告等が各金九五、四一三円となるので、これを原告等の前記各損害金に充当すると、その残額は、原告きくが金一、〇九七、九三九円、原告一實が金四七一、〇一九円、原告昌巳が金三二七、九八二円、その余の原告等が各金一七七、九八二円となる。

六、よつて、原告等は被告両名に対し、連帯して右各金額、及びこれに対する(但し原告一實の分については葬式費等の金一四三、〇三七円を除いた金三二七、九八二円について)本件事故発生の翌日たる昭和四〇年四月七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べた。〔証拠関係略〕

被告等訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁及び主張として、

一、請求原因第一項は認める。

二、同第二項のうち、原告等主張の日時場所において交通事故が発生し、訴外大畑義雄が死亡したことは認めるが、その余は争う。亡義雄は被告幸造が運転する自動車を認めて道路のわきに自転車を止め、自転車に跨つたままで被告車の進行をよけていたのであるが、被告車がその場所に来たとき、義雄が突然横に倒れ、被告車に頭をぶつけて転倒したもので、被告幸造には何等の過失がない。

三、同第三項のうち、被告幸造が運転していた自動車が同被告の登録名義であることは認めるが、その余は争う。

被告恒四郎は当時六五才の老齢で全く農業に従事しておらず、一切の農業経営は被告幸造が主宰していたもので、被告恒四郎は支配も差図もせず、被告幸造が何人からも指揮監督を受けることなく自由に農業経営を行つていたものである。

四、同第四項の(一)のうち、義雄の年齢と平均余命年数は認めるが、その余は争う。

義雄は老齢で且つ高血圧のため医師から注意され、全く仕事をすることができず、従つて収入がなく、得べかりし利益はない。仮りに多少の収入があつたとしても、生活費その他の費用を差引けば残余はない。

同項の(二)は争う。

前述のように、義雄は老齢且つ高血圧のため、何時死亡するかも判らず、家族の者はそのことを常に覚悟していたもので、本件事故によつて通常の場合におけるようなシヨツクを受けることは到底考えられない。

また、原告一實の物質上の損害についても、葬式費や、初七日その他の供養、及び新盆の費用などは、お客からの香奠や供料を差引けば損害のないことは昨今の常識であるから、認められない。

五、同第五項のうち、原告等がその主張の如き自動車損害賠償保障法による保険金を受領したことは認めるが、その余は争う。

六、同第六項は争う。

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一、原告大畑きくは亡大畑義雄の妻であり、その余の原告等は右義雄ときくとの間の子であり、被告杉山幸造は被告杉山恒四郎の子であること、昭和四〇年四月六日午前一一時頃、下館市大字野殿六六九番地先の道路上において、自転車に乗つた大畑義雄と自家用普通貨物自動車(茨四に、二八〇七号)を運転していた被告杉山幸造との間に交通事故が起り、その事故によつて右義雄が死亡したこと、は当事者間に争いがない。

二、よつて、右交通事故の態様とその原因について検討する。

〔証拠略〕を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)、本件事故現場は、下館市大字下野殿から同市大字西石田方面に向い西東に通じる市道上で、道路の幅員は約二・一米であるが、事故現場の幅員は約二・七米と他の所よりも稍広くなつており、下野殿方面から東進するときは、事故現場を頂点としてそれより東方へ約一〇〇分の六の下り勾配となり、且つ緩やかな右カーブとなつている。事故現場の道路の北側は高さ約一〇米の丘陵で草地と雑木林になつており墓地が設けられている。道路の南側は草地で道路より約〇・五米低くなつている。当時右道路は砂利道であつた。

(2)、事故当時、亡義雄は六二才で、一年位前から血圧が高く口が重かつたので下館市大字野殿の廣瀬医院の診療を受けており、事故当日も自転車に乗つて自宅から一里半程の距離に在る廣瀬医院に行つた帰り途であつた。そして義雄は前記市道を下野殿方面から東進し、事故現場にさしかかつたとき、東方から上り勾配の市道を西進して来る被告車を認めたので、道路の北側へ寄つて自転車の進行を止め、自転車に跨つたまま、右足を自転車のペタルに載せ、左足を地面に着けた姿勢で被告車の進行を避けていた。

(3)、他方被告幸造は、当日被告車を用いて同部落の小島金一郎方の共同農作業(共同苗代の沃土運び)に従事し、その帰途被告車に妻昭子や隣人杉崎秀男を乗せ、前記約一〇〇分の六の上り勾配になつている市道を西石田方面から下野殿方面に向つて時速一五粁ないし二〇粁の速度で西進し、事故現場の約二二・三米手前で義雄が自転車に乗つて東進して来るのを認めたが、それより約一四米西進したとき、義雄が道路北側へ寄つて自転車のハンドルをふらつかせながら停止し、自転車に跨つたまま、右足を自転車のペタルに載せ、左足を地面に着けた姿勢で被告車を避けた様子であつたので、被告幸造はそのままの速度で義雄の傍を通過しようとした瞬間、義雄が安定を失い自転車に跨つたまま被告車の方へ倒れ掛つたので、被告幸造はハンドルを僅かに左に切つて避けようとしたが間に合わず、事故現場で被告車の右前部方向指示燈右側のフインダーあたりが義雄の頭部に衝突し、義雄は自転車もろとも道路上に転倒した。

(4)、被告幸造は、右衝突地点から約五・九米西進して停止し、義雄のもとへ走り寄つたが、義雄が頭部から出血して意識を失つているので、同人を被告車に乗せ、最寄りの廣瀬医院に運び込んだが、義雄は頭部に重傷を負い、創は前額部より前頭部に亘り、頭蓋骨々折(開放性)、創間より出血及び脳実質の漏出により同日午後一時四六分頃同医院において死亡した。

(5)、右衝突事故により、被告車は、右前部方向指示燈右側のフインダー部分で地上から高さ約〇・七米の個所が縦〇・〇七米、横〇・一米の円形状に凹み、同所に義雄が冠つていた鳥打帽の繊維と同じ繊維が僅かに附着し、右前部バンバー先端が僅かに後方へ押されており、他方義雄が乗つていた自転車は、右側ハンドルが下方へ曲つてベルが内側に移動しており、またハンドルの下部が左へ曲り、ライトが下方へ押されて曲つていた。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

而して、以上認定の事実によると、亡義雄においても、被告車をよけて道路北側に自転車に跨つたまま停止した際、身体の均衡を失つて自転車もろとも被居車の方へ倒れかかつた過失があり、他方被告幸造においても、衝突地点の約七・一米手前に来た際、自転車に乗つて対向して来た義雄が、自転車のハンドルをふらつかせながら、自転車に跨つたまま、右足をペタルに載せ左足を地面に着けた姿勢で道路北側に停止したのを認め、殊に道路の北側に丘陵状に高くなつているのであるから、右のような義雄の不安定な停止の仕方からすれば、何時同人が南方(被告車の進路)へ倒れかかるかも知れない危険を慮つて、事故を未然に防止するため、被告車を急いで停車させるか、或いは少くとも最徐行の措置をとつて義雄の状態を確認すべき注意義務があるのに、被告幸造はこれを怠り(本件では、事故直後の実況見分においても、被告車のスリツプ痕は認められない。)、義雄が停止したのであるから大丈夫と軽信して漫然同じ速度で義雄の傍らを通過しようとしたため、身体の均衡を失つて南方へ倒れかかつた義雄の頭部へ被告車の右側前部を激突させ、頭蓋骨開放骨折、脳実質漏出という重傷を負わせるに至つたのであるから、被告幸造にも自動車運転上の過失あることは免れない。而して、右に述べたような本件事故の態様からすれば、双方の過失は五分五分というべきであり、従つて被告幸造は、本件事故によつて義雄が蒙つた損害の五割を賠償すべき責任がある。

三、ところで、前述の如く、被告幸造は被告恒四郎の長男であるが、〔証拠略〕を綜合すると、被告恒四郎は自己名義の田一町九反三畝一五歩と畑四反二畝二〇歩、父幸一郎名義の畑四反八畝一五歩と山林一町二〇歩と宅地八二六坪及び家屋数棟を所有し、其処に被告恒四郎夫婦と長男である被告幸造夫婦及びその子供二人が同居し、被告恒四郎は年をとつているので明治三五年六月二五日生)、被告幸造夫婦が主となつて農業を営んでいるが、公租公課は被告恒四郎名義で納付し、米穀の供出も同被告の名義でなされていることが認められるから、右のような形態からすれば、被告恒四郎は世帯主として右農業経営の責任者の地位にあり、被告幸造はそのもとにおいて農耕に従事しているものというべきである。而して本件自動車は被告幸造名義で登録されているものの、右のような形態の農業経営の収入によつて購入され、その農業の用に供せられているもので、本件事故当日には、被告幸造が同部落の小島金一郎方の共同農作業(共同苗代の沃土運び)のために右自動車を運転していたものであるから、結局自家の農作業の用に供していたのと同様であり、従つて本件事故については、被告恒四郎も被告幸造も共に右自動車の運行供用者の地位にあるものというべきである。

この点に関しては被告等は、「被告恒四郎は当時老齢で全く農業に従事しておらず、一切の農業経営は被告幸造が主宰し、幸造は何人からも指導監督を受けることなく自由に農業経営を行つていた。」旨を主張し、被告幸造及び同恒四郎もこれに符合する供述をしているが、たとえ被告幸造が被告恒四郎から所謂身上を渡されて農業や家事一切をきり廻わしていたにしても、それは内部関係に過ぎないもので、前述の如く被告方の不動産がすべて恒四郎の所有で、公租公課の納付も米穀の供出も恒四郎名義でなされている以上、外部に対しては依然被告恒四郎が農業経営者として責任を負うべきものである。

而して、既に述べたように、本件事故について被告幸造に五割の過失がある以上、被告恒四郎も共同運行供用者として被告幸造と連帯して損害賠償の責任がある。

四、そこで、原告側の損害とその賠償額について検討する。

(一)、亡義雄の損害

(1)、逸失利益の損害

〔証拠略〕を綜合すると、亡義雄は本件事故当時六二才(明治三五年一一月二五日生)で、田一町三反七畝、桑畑八反五畝、普通畑一反五畝を耕作する農業経営者であり、その農耕には主として長男である原告一實夫婦が従事し、義雄は養蚕及び農業経営全般の指揮監督に当つていたが、農林省茨城統計調査事務所の統計並びに政府機関の統計などを参考にして計算すると、亡義雄の逸失利益は、原告等主張どおりの計算方法によつて金七七二、六五四円と認めるのが相当である。

(2)、自転車の損害については、原告等は金二三、〇〇〇円と主張するが、〔証拠略〕によると、既に二の(5)において述べたように、右側ハンドルが下方へ曲つてベルが内側に移動し、且つハンドルの下部が左へ曲り、ライトが下方へ押されて曲つた程度で、使用不能なまでに大破したとは認められず、そして右の程度の破損を修理するのにどの位の費用を要するかについては、これを認めるに足る証拠がない。

(3)、亡義雄の慰藉料については、本件事故によつて同人は二の(4)において述べたような頭部に重傷を負い、間もなく死亡するに至つたのであるから、その慰藉料は金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当と考える。

そうすると、亡義雄の損害は計金一、七七二、六五四円となるが、前述のように、本件事故については亡義雄にも五割の過失があつたものというべきであるから、過失相殺を適用して、被告等の賠償額はその半分に当る八八六、三二七円とする。

(二)、原告等の損害

(1)、原告等の慰藉料について考えるに、義雄の本件事故による死亡のために原告等が精神上の打撃を受けたことは推認するに難くないが、原告本人大畑きく、同大畑一實の各供述によると、妻である原告きくは傷心のあまり血圧が急に高くなり、事故直後から長期間に亘つて医師の診療を受けている程であり、原告一實は長男として、また原告昌巳は末子で結婚前にあつた者として非常な打撃を受け、その余の原告等は他家に嫁入りしているが父親の悲惨な死亡により相当の打撃を受けたことが窺われるので、本件事故についての義雄の過失をも斟酌して、原告等の慰藉料は、原告きくが金六〇〇、〇〇〇円、原告一實と同昌巳が各金二〇〇、〇〇〇円、その余の原告等が各金一〇〇、〇〇〇円を相当と考える。

(2)、原告一實の物質上の損害

〔証拠略〕を綜合すると、原告一實は父の重傷による応急措置費、及び葬式や供養のための費用として、次の支出をしたことが認められる。

(イ)、重傷処置料、金二、七〇四円

(ロ)、葬式費、金九一、四五三円

(ハ)、初七日供養費、金六、七〇〇円

(ニ)、三七忌供養費、金六、八〇〇円

(ホ)、四九日、一〇〇日、新盆併合供養費、金一五、六一〇円

(ヘ)、一週年忌供養費、金一四、三六〇円

以上計金一三七、六二七円

(三)、ところで、亡義雄の損害賠償請求権八八六、三二七円については、原告きくが三分の一に当る金二九五、四四二円、その余の原告等が各二一分の二に当る金八四、四一二円をそれぞれ相続したので、これと原告等の固有の損害を合算すると、その金額は、原告きくが金八九五、四四二円、原告一實が金四二二、〇三九円、原告昌巳が金二八四、四一二円、その余の原告等が各金一八四、四一二円となる。

五、ところで、原告等は、本件事故につき、自動車損害賠償保障法による責任保険金一、〇〇一、八三六円を受領したので、これを各自の相続分に応じて配分すると、原告きくが金三三三、九四五円、その余の原告等が各金九五、四一三円となるので、これを原告等の前記各損害金に充当すると、その残額は、原告きくが金五六一、四九七円、原告一實が金三二六、六二六円、原告昌巳が金一八八、九九九円、その余の原告等が各金八八、九九九円となる。

六、そうすると、被告等は連帯して原告等に対し右各金員、及び右各金員(但し原告一實については葬式費用等を除いた内金一八八、九九九円についてのみ)に対する昭和四〇年四月七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、その範囲で原告等の請求を認容し、その余は棄却し、訴訟費用は全部被告等の負担と定め、原告等勝訴の部分につき仮執行を許容し、主文のとおり判決する。

(裁判官 石沢三千雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例